2016年4月9日土曜日

金沢らしさはあると言わざるをえないけどもう少し自分の話

金沢らしさなんて、あるのか⁇
結論からいうとそういうものは「あると言わざるをえない」と僕は思っています。

それは、お茶なり美術なりを抜きにしと思うに至ったのですが。。。




その前に。
昨日のブログにも書きましたが、金沢って芸術を生産、消費している人間とそうでない人間の差が激しいと思うんですよね。

いや、書いていて「それは日本中いや世界中どの地域でも同じではないか⁇」とも思うのですが【金沢らしさ】を語るとき排他的な思想・言動をなされる方って【旧市街】の人が殆どなんですよ。
(結局、これもどの地域でも同じかもしれないけどそうだとしたら金沢でも御多分に洩れずそうだということです)



そして金沢で芸術を生産、消費している人って旧市街の人が結構な割合を占めると思う、統計をとりようがないけど。

旧市街ってのは元々武士が住んでいた地域と思っていただければいいでしょうか。
要は、お城の近くです。
浅野川と犀川の間というか。
旧市街金沢人の方に言わすと、「線路から港側は小さいころ金沢じゃないと思ってた」って発言も1人や2人じゃありません。


北陸新幹線が開通して、「近江町市場が金沢の台所じゃなくなった」って発言されるのはまず間違いなく旧市街の方々です。

郊外育ちの自分に言わすと僕の家庭で近江町市場が台所だった瞬間なんて一瞬たりともありません。

駐車料金かかりすぎる中心部にいきやしないので。
台所ということで言うとマルエーかニュー三久でしょうか(超ローカルトークです、すいません)


そんでもって、僕の家庭にはお茶もお花も謡もましてや着物も無くて、ステロタイプの【金沢】を感じたことは大学入るまでなかったですね。

これは何も僻んで言ってるわけでは無く、僕の通っていた小学校では殆どの家庭がそうだったと思うな。

とはいえ、ここまで書いていて僕が【ステロタイプの金沢】を感じれない、いまだに共感できない理由は家庭環境にもあるような気がします。。
その辺はまた次回に♪

(読んでる人いるのか分からないので殆ど自分の忘備録ですが)

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