このレオ3世の欲望が350年近く埋葬されていた「西ローマ皇帝」を現世に召還しイタリア含めイタリア以北の、当時は蛮地とされた西ヨーロッパに光をあてることとなる。
自堕落な生活のために教皇位を追われそうになったこの男が望んだこと、それさイマイチ権威に欠けともすれば分裂の危機にある「ローマ教皇」という立場の強化であった。
少し話がややこしいが、東ローマ帝国にはローマ教皇とは“別に”「コンスタンティノープル総大主教」がいた。
この東ローマ帝国のキリスト教が後にギリシア正教・東方正教会となり主に東ヨーロッパ、ロシアに伝わり現在に至る。
要約して言うと、東ローマ帝国には東ローマ皇帝がおり、コンスタンティノープル大主教が。
西ローマ帝国には西ローマ皇帝がおりローマ教皇が存在した、ということ。
そして、西ローマ帝国が滅び1人残されたローマ教皇の権威というのは、きわめて心許ないものだった。
そうだから、ローマ教皇であるレオ3世はローマ教皇という立場の強化を望んだのである。
教皇が目をつけたのが当時飛ぶ鳥を落とす勢いのフランク王国の国王、シャルルマーニュである。
シャルルマーニュの王国は現在のドイツからフランス、スペインやイタリアにまたがる大王国で、実質として西ローマ帝国とほぼ同範囲。
この、今や東ローマ皇帝よりも領土の上では古代ローマ帝国を彷彿とさせるフランク人の王はローマ皇帝に相応しいのではないか?
よもや異論を言うものはおるまい。
そしてその皇帝の任命を自分が行えば自分の、ローマ教皇の権威は高まるのではないか?
だがいきなりそんなことをすれば、東ローマ皇帝およびコンスタンティノープル大主教は黙っていないだろう。。。
どうする?
レオ3世はここまで考えて結局実力行使に打ってでた。
東の了解を得ぬままに強引に教皇戴冠式を断行し、一方的に「西ローマ帝国の復活」を宣言したのである。
あとはどうにでもなれ、である。
結果としてこのことによりローマ教皇は皇帝選任権を有することになり中世を通し絶大な世俗権力を握っていくことになる。
自分の権威拡大のためとはいえ、
数百年前に滅んだ国を復活させ、時の権力者にその国の皇帝を任命させる、任命権は自分がもつ、をゼロから作ったレオ3世は今日風にいうとなかなかイノベーティブな人間なのかもしれない。
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