2016年1月31日日曜日

金沢歴活美術史特講「長次郎」

ヘウゲものや利休にたずねよで知名度が一気に上昇、今日は樂家の祖長次郎についてです。


①どんな人?
現代まで一五代続く窯元樂家の祖。
千利休の美意識を反映した茶碗の作り手として知られる。
生没年不詳でその生涯は不明な点も多いが中国からの渡来系移民の子孫といわれる。
②時代は?
安土桃山時代(1573〜1615)
③どんな時代?
室町幕府が終焉し、既存の価値観から解放されたような自由主義の時代。秀吉が最下層から天下人になったように、利休が魚屋の主人から時代を代表する美の体現者になったように、実力があればのし上がることができた。芸術においても豪放な、自由闊達な破格の表現が本流。しかし傍流ともいうべき侘びの美意識も確かに芽生えた、とにかく忙しい時代。
④作品の特徴は?
樂焼は轆轤を使わず手で捏ね上げるため素朴な、自然な姿を残す。
同時代の茶碗と比べると長次郎は幾分小ぶりな寸法でその形はいわゆる宗易形(利休形)とよばれ色は黒とも赤とも表現できないような、土そのものの風合い。樂歴代の中でも長次郎の“色”は一線を画す。
⑤代表作は?
「無一物」

「大黒」

「ムキ栗」


金沢歴活美術史特講「高橋由一」

1828〜1894

①どんな人?

近代洋画の開拓者。
下野国佐野藩の出。つまりは武士階級の出であり同時代の洋画家、黒田清輝が薩摩藩出身のエリートならば由一は泥臭く目的を達成しようとした雑草魂の男である。
35歳で洋画を志し、41歳の時に明治維新を迎える。
維新後は洋画拡張へ奔走。

②時代は?
幕末〜明治

③どんな時代?
明治維新後の日本は価値観の大変動。
廃仏棄釈にみられるように古来のものがかえりみられず、西洋の文化がもてはやされた。
美術の世界でも(というか“美術”もいう概念と言葉が生まれたのもこの時代)西洋文明の輸入として油絵の具を用いる洋画も普及していく。

④作品の特徴は?
“リアルのようでリアルでない”、“綺麗なようで綺麗ではない”、だけど見ずにはいられない強烈な実存感が由一の特徴。土着的というか粘着質的に対象を描く。


⑤代表作は?
「花魁」

「鮭」

金沢歴活美術史特講「本阿弥光悦」

ヘウゲものやバガボンドにも登場していてサブカル的にも著名人、去年は琳派400年ということでも大忙しだった本阿弥光悦の登場です。


①どんな人?
刀剣の鑑定(めきき)、浄拭(ぬぐい)を家業とする室町時代からの京都の上層町衆の出。父の代から前田利家と関係が深く光悦も金沢に訪れている。
茶の湯は古田織部に師事。
絵師の俵屋宗達を指導したことでもしられ“琳派の祖”とも言われる。
筆を持てば能筆(寛永の三筆)、茶碗を作らせれば国宝級、蒔絵をやらせても斬新なデザインと、なんでもござれすぎてよく分からない人。

②時代は?
安土桃山時代(1573〜1615)
寛永期(1615〜44)

③どんな時代?
大坂の陣を経ていよいよ徳川幕藩体制がスタート。日本は長く続いた戦国時代が終わりようやく安定の時代へ。
安土桃山の破格・豪放を良しとする美意識から調和を重んじる美意識へ変化し、また王朝文化への回顧が進んだ。

④作品の特徴は?
書、漆芸、陶芸、宗達への下絵指導などあまりに多才すぎて特徴を一概に語ることは難しい。。
陶芸に限っていえば平仮名を想起させるような滑らかなフォルム、ふっくらとしたふくらみが特徴。箆削りも特徴で口縁の反り上がりが見所。

⑤代表作は?
乙御前

舟橋蒔絵硯箱


金沢歴活美術史特講「狩野永徳」

狩野永徳っていうとテレビゲーム「太閤立志伝」の印象がいまだに根強い金沢歴活高橋です。

今日の主役、狩野永徳はざっとこんな感じです、ご覧あれ。

生没年
1543〜1590

①どんな人?
狩野派と呼ばれる画壇の棟梁で京都で活躍、織田信長や豊臣秀吉ら天下人の御用絵師として活動し当時の画壇の頂点に君臨した。
信長〜秀吉という稀代の為政者から次から次に仕事の依頼が来すぎてその死因は一説には過労死といわれる。

②時代は?
安土桃山時代(1573〜1615)

③どんな時代?
歴史学的にいうと、中世から近世への変わり目。時代の一大転換期。下剋上の気運高まり信長や秀吉ら天下人が登場。裕福な商人も活躍と、非常にエネルギッシュな時代で芸術においては覇気と生命感に溢れる作品が大本流だがその一方で“侘び”の美意識も誕生した。
とにかく忙しい時代。

④作品の特徴は?
若い頃は細密画〜壮年以降はダイナミックな障壁画が多くなる。特に晩年は筆づかいが荒々しく乱暴な書きっぷりが必見。
基本的に水墨画も細密画も障壁画もなんでもござれ。
個人的には“桃山という時代の空気”をひしひしと感じられる風俗画や大画面の迫力たっぷり障壁画がオススメ。


⑤代表作は?
「洛中洛外図屏風(国宝)」
「唐獅子図屏風」
「檜図屏風(国宝)」

なんといっても永徳は唐獅子図屏風がオススメです。
ぜひ生でご覧になられてください。

2016年1月29日金曜日

金沢歴活美術史特講「伊藤若冲②」

若冲は生前から京都画壇では評価を受けており、『平安人物志』では池大雅、与謝蕪村ら文人画家を抑えて人気絵師2位を獲得。この時53歳。


若冲の特徴といえば鮮やかな色彩を駆使しながらも対象を執拗なまで克明に描き反復させる絵画世界には、写生を超越した幻想性が漂う。。。とよく言われます。
またいわく、まさしく若冲の絵画は「シュルレアリスム」であると。

シュルレアリスムというのは第一次世界大戦後のヨーロッパで広範に展開された芸術運動で精神世界、夢や内面のイメージを描くことに特徴があります。


確かに、若冲の絵は全体として独特な雰囲気で、鶏もリアルなようでリアルでない、“若冲の世界”を表している気がします。

まぁ、そんな難しいこと言わずにセンスで感じればいいじゃない!といいたいのですが。

個人的若冲の見どころは以下の通り。
①色彩の鮮やかさ、美しさ
②モチーフの面白さ可愛らしさ(野菜や仔犬ちゃんなど)
③若冲の視点で描かれている仏教世界

若冲は当時でも高価だった画材をふんだんにつかっており色彩がとても鮮やかでそのため保存状態が良い。八百屋のオーナーだぅたこともあり野菜モチーフのものを多く残していることも特徴。また、熱心な仏教徒だったので基本的に仏教画が多いのです。野菜の涅槃図なんかもあったりします笑

その辺りを注意して見ていただくと楽しいかも♪




2016年1月28日木曜日

レポート 歴活的全県めぐり“島根県編”

12月よりスタートし、じわじわと人気静かな人気を獲得している「歴活的全県めぐり」。
兵庫県、滋賀県、群馬県に引き続き今日は島根県編をお話してきました(^^)

島根は北陸からはなかなか行きにくく(電車だと7時間!)あまり金沢人からすると馴染みが薄い土地なのですが高橋は今まで3度訪れています。

(なぜか綺麗に4年ごとに。。)

昨年末には姉の結婚式が出雲大社にて執り行われたばかりなので、その時の観光ガイドを片手にお話するという、とてもゆるい感じ(笑)でスタート♪

島根は古事記の舞台として神社がとても多く、縁結びの聖地ということで、どこの神社に行っても驚異の女性率の高さ!

恋愛に効きそうなのは出雲大社はもちろん八重垣神社でしょうか。
変わり種では縁切り神社なんてのもあります。腐れ縁切りたい方も出雲行かれてください。

県庁所在地の松江は金沢と同じく茶の湯が盛んな城下町で、近世に喫茶文化が盛んな地域はカフェが多いというのが持論なのですが島根にもオシャレカフェ多いのです。

そして。庭園が有名な足立美術館は高橋が訪れた美術館のなかで屈指の商売上手な美術館でした♪




金沢歴活美術史特講【伊藤若冲】

◼︎伊藤若冲(1716〜1800)

知識があればもっと美術館が楽しくなる、金沢歴活副代表の高橋(ジェントル)です。

今日は伊藤若冲についてお話します。

2016年の4月22日より東京都美術館にて生誕300年を祝い「若冲展」が開催されることもあり、今年は年明け早々若冲に注目が集まることが予想されます。

そういうわけで、我らが金沢歴活もいち早く昨年末に伊藤若冲をとりあげたのですがそのまとめを本ブログでも。
(↓その時の模様はこちら)

伊藤若冲といえば高橋世代だと宇多田ヒカルさんのSAKURAドロップスのPVで使われていたことが記憶に残っていますし、ちょうど大学4年生くらい、2006年前後で1度“若冲ブーム”を経験しているので「あぁ、若冲か、懐かしいな」というのが正直なところです。

わざわざ若冲を観るためだけに名古屋まで高速バスで行ったなぁ。


それで、改めて若冲について語りますと京都・錦の青物問屋〈桝屋〉の4代目。
まぁ八百屋のオーナーってとこでしょうか。
関西人風にいうといわゆる“ええ氏のボンボン”で裕福な町人階級の跡取り長男として生をうけます。

はじめ狩野派に学ぶも不満を覚える。
狩野派とは狩野永徳に知られる一大画工集団ですが、この時代、絵を志すものはだいたい狩野派を学んでいます。(尾形光琳も)
相国寺の大典顕常に親しみ、その秘蔵の中国古画や明清画から多くを学ぶ。
40歳で次弟に家業を譲り隠居、本格的に絵師としての人生を歩みます。

今風にいうと40で早々と親から引き継いだ家業をリタイアしたということで、なかなかの一大決心。

リタイア後の若冲はいよいよ後世に残る作品を産み出していくのですがそれはまた次回♪



2016年1月26日火曜日

モテる女性

仕事柄、人間観察が趣味です。
女性全般、20代〜30代男子がメインです。

客観的に俯瞰して観てみると“こういう人はだいたいこういう行動をとるんだな”とか“表情の作り方やボディーランゲージが上手いなぁ”などと分かってくるものです。

それで、今日話題にあがったのが「モテる女性とモテない女性」。

普遍的なテーマですよね笑

モテる=異性から高い評価を得るということは容姿含め複合的な要素が必要ですが「男性が喜びそうな言葉や顔をするのが本能的に得意な女性」って存在すると思います。
男は非常に単純ですのでポイントをしぼってこういう言葉を使うとモテるというものが確かにあります。

それは何か?
非常に簡単なモテるマジカルワードです。
「さすが!」
「知らなかった!」
「すごい!」
「◯◯さんみたいな人、はじめて」
です。
とにかく男の自尊心、ジャイアン心をくすぐればまず間違いなく悪い印象はもたれません。

あまりやりすぎると同性を敵にまわすかもしれませんが。。。



2016年1月25日月曜日

金沢歴活「唐物の文化史」


◼︎「唐物」とは⁇
唐物とは近世までの「舶来品」を指す言葉でして、時代によっては南蛮物や阿蘭陀物も含めて唐物と総称します。
言葉の起源は平安時代以降で、初出は史料の上では大同三年(808年)。
唐=中国王朝の【唐】だが朝鮮半島や渤海からの伝来品、それに似せて作られた国産の品物も唐物と当時いわれました。

今回の歴活では特に室町時代にフォーカスしてお伝えしたのですが、室町の唐物はなかなか奥が深いのです。
平安、鎌倉時代までは権力者の威信財(ステイタスシンボル)だった唐物が足利将軍家の文化政策により、等級づけされ、飾り方のhow-toまで制定され、唐物はどんどんと高騰していきます。

この、唐物を等級づけして新たな市場を形成していく様はまるで「室町資本主義」とでもよぶべき社会でなかなかに興味深いのです。


例えば99貫だったお茶道具が転売の度に500貫→1000貫と値上がりし最終的には大和国(奈良県)の統治権と引き替えになるなんてまさに「室町資本主義」だと思う。

そしてこの、足利将軍家と織田信長が作った室町資本主義を瓦解させたのが利休と秀吉であり、そこから茶の湯がはじまっていくという文脈で考えると本当に面白いのですが、それまた別のところで。


*参考文献
河添房江『唐物の文化史ー舶来品からみた日本』岩波新書 2014年
辻惟雄『日本美術の歴史』東京大学出版会 2005年
芸術新潮『樂吉左衞門が語りつくす 茶碗・茶室・茶の湯とはなにか』新潮社 2008年

2016年1月7日木曜日

【第74回】「金沢歴活」生誕100年!ミスタータイガース・藤村富美男とミスタ ーホークス・鶴岡一人

プロ野球ファンとしては球春が待ち遠しい時季ですが、底冷えのする金沢にて早朝よりプロ野球草創期のスター選手と名物監督についてお話してまいりました。


本日の主役はこちら、ミスタータイガース、藤村富美男とミスターホークス、親分こと鶴岡一人。
共に1916年生まれで今年で生誕100年!

いやいやいや、歴活でプロ野球の話ってどないやねん、て思う方もおいでるでしょうが、リオオリンピック開催のオリンピックイヤーということでスポーツネタご容赦ください。

この2人、広島県呉市の出身で同い年、誕生日も2週間程度しか違わない同じ獅子座で、共に甲子園で優勝を経験するとい非常に似通ったバックグラウンドを持ちながら対照的な野球人生を送っていて興味深いのです。


戦前戦後のプロ野球のエピソードを交えつつ、代表の安藤さんがブレーブスファンということもあり大いに脱線しつつ盛り上がりました♪

ご参加いただいた皆さま、早朝よりありがとうございました♪