加賀茶道ってなんじゃい、ということはひとまず置いておいて今回は「宮崎寒雉の塩屋釜編」をお送りいたします。
宮崎寒雉というのは茶の湯釜を作る釜師の名前でして、江戸時代の初期から金沢で活躍し現代まで14代を数えます。
元々は石川県穴水町の仲居という町の出身なのですが裏千家流初代の仙叟宗室に見出されて釜師としてのキャリアを積んでいきます。
この仙叟と寒雉はお茶人と釜師という関係ですが、残されている史料から窺うにそれ以上に仲の良いお茶仲間だったのではと僕は思います。
例えばこんなエピソード。
ある日、仙叟と寒雉が卯辰山(金沢のひがし茶屋街あたり)をピクニック中に仙叟がおむすびを食べようとして手がすべりおむすびがコロコロ転がっていき食べられなかったことがありました。
リアルおむすびころりんか!!(スマホのCMか!!)っと大きい声でツッコミたくなりますがまぁそんなことがありましたと。
しかしここから寒雉が粋なことをするのです。
後日、仙叟の屋敷を訪れた寒雉は、
「このあいだのおむすびを持ってきました」
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