2016年4月11日月曜日

金沢を観光客視点で捉えつつもそこに住んでいるという矛盾

日曜の夜なんで、第3回目はギアを上げて書こうと思います。

僕が書こうとしていることってつまりは【金沢人にしか書けないいびつな金沢愛】なんですよ。



この『金沢らしさとは何か?』にも書かれている「金沢の人は本当に金沢が好きだ」という部分、本当にその通りだと思うんです。
あーだこーだ言って結局僕は金沢の事が大好きなんですよね。

ただ、それは生まれ故郷だから好きっていう問答無用の事実だからなんですよ。
自分の肉親のことを放っておけないのと同じです。理由なんてないんです、だって自分の親なんだもん。

だから僕が金沢の事が好きっていうことは【理屈ではなく生まれ故郷だから】が殆どなんです。
金沢の奥ゆかしさ、伝統工芸、茶道やお能、お菓子や料理、、四季折々の風景だとか城下町だとか金沢の美辞麗句のフルコースがあるから、それを知ってるから好きとかではないんです。


だけど、金沢というモノに対してどうしても埋められない距離も僕にはあるんですよね。
僕は両親が金沢の生まれではないからネイティヴなリアル金沢人でない。
まぁ言うても、両親とも石川県人、父は口能登の羽咋市、母は加賀藩3代利常ゆかりの小松市。
(ついでにいうと奥さんは奥能登)

同じ石川県やん、と思うかもですが、金沢市内に親戚は1人もいない、お盆だって新盆でなくて旧盆だし金沢市民なのにお墓まいりでキリコは買ったことありません。
小さい頃は金沢市内の神社にお参りに行くことも殆どなく、文化的なことでいえば母の実家の小松の方が僕の原体験。

百万石祭りよりもお旅まつりの方が、尾山神社よりも安宅住吉神社や那谷寺の方が、森八や諸江屋などの和菓子屋よりも松葉屋の方がシンパシーを感じてしまう。

上に羅列した【金沢の美辞麗句のフルコース】を
“覚えた”
のは大学入学後の二十歳くらいから。

思春期を過ぎて、大学入学後という、ある程度開けた視界の中で初めて捉えた“金沢”。
それは例えるならば【観光客の視点】と同じで客観的に、消費の対象として金沢を視るんです。

へぇ、金沢ってこんな街なんだ、すごいねぇ、行ってみようか、のような。
金沢は伝統工芸や伝統文化が盛んな街なんだってねぇ、知ってる?のような。。

金沢文化を、肉親など近しい人からではなく雑誌などのメディアや大学の講義で知ったので、金沢文化に対して粘着的な付き合いの深さがないんです。


それが、金沢をやや冷ややかに見てしまう原因な気もするのですが、何だか長くなってきたのでまた次回♪

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