2016年4月8日金曜日

金沢らしさなんてものは、あるのだろうか

開業から1年経ちましたが変わらず北陸新幹線で賑わう金沢にて茶道を嗜む31歳、ファッション販売店長のyutaです。

昨日、こちらの本を買い求めました。

金沢市前市長の山出保さんと有識者によるトークセッションを書き起こしたもの。

「金沢らしさとは何か」


私、捻くれ者ではありますが金沢愛はなかなかのものだと自負しております。某信長の野望では金沢市を治めているのが大名ではなくお寺さんだったということに凹んだ思春期ももっております。

まぁ、信長の野望で前田家が使えない!と嘆くのはゲーマーあるあるとして、ともかく「金沢らしさ」について、途切れ途切れになりながらも金沢で10年ほどお茶を習って、イベントを主催してきた人間なりの視点で書きたく思います。


が、その前に自分のことを少しだけ。
いや、自分のことというか金沢市民の温度差について書いてよろしいでしょうか。


「金沢らしさ」との僕の“初めての遭遇”は二十歳の頃、金沢21世紀美術館にて行われていた【現代美術展】でアルバイトをしていたことです。
現代美術展とは終戦後間もない頃から続く金沢においてとても歴史のある公募展で、人間国宝や芸術院会員の先生方からアマチュア作家まで幅広く応募する、地方ではなかなかの規模の公募展だと思います。
(っということを今はつらつらと書けますが当時は【現代美術展】も【人間国宝】も【芸術院会員】もよく分かっておりませんでした)

この公募展の搬入・展示のアルバイトをしていたのですが、なかなかのカルチャーショックを受けましたよね。

搬入は基本作家ご本人がおいでるのですが(大家除く)次から次にひっきりなしに搬入にくるのですよ。
えーーー!
金沢ってこんなに作家と呼ばれる人が、モノを制作してる人がいるの⁇しかも全部(失礼ながら)なかなかのクオリティだよ⁇と。


何となく金沢、石川県は「美術や芸術が盛ん」(美術と芸術の違いもこの時は知らない)と聞いてはいたけどそれを肌身に感じたのがこの時でした。

それと同時に、金沢において芸術を生産、消費している層とそうでない層との間に無茶苦茶大きな溝というか隔たりがあるなぁとも直感的に思ったものです。



続く

2016年4月7日木曜日

ローマの歴史を知らねばナポレオンのイノベーションは理解できない

西暦800年、12月25日、ミサが執り行われるローマ、サン・ピエトロ大聖堂。
レオ3世はシャルルマーニュに対し皇帝戴冠式を断行した。

【西ローマ帝国の復活】である。

フランスとドイツという、日本と朝鮮半島のような愛憎入り混じる友好関係の両国の歴史は共にこの復活西ローマ帝国を起源にもつ。
(正確にはフランスとドイツ以外の現西ヨーロッパの殆どの国だが)

なので、この復活西ローマ帝国が汎ヨーロッパ主義というか現在のEUの起源であるとする考えもあるようだ。

スペインの著名な建築家、アントニオ・ガウディは「自分はスペインの中でもローマに近い都市で生まれ育った」と自分の出自を誇ったエピソードがあるらしい。


話を端折って、16世紀に至っても「神聖ローマ帝国」と名乗って“ローマ”の称号にこだわるヨーロッパ人の心情は東アジアの島国育ちにはなかなかに理解しがたい。

このローマにこだわる心情とは要するに
「ヨーロッパを支配するのはローマ皇帝を戴くローマでなくてはならない」
という問答無用の論理だろう。

この論理はなかなかに強固で実はヨーロッパの歴史において皇帝という人間は、古代ローマ帝国からナポレオン革命にいたる1500年間、どの時代にも必ず“2人しか”存在してらならないことになっている。

1人は東ローマ皇帝、つまりピザンツ帝国皇帝。これはピザンツ帝国滅亡後ロシアに帝位が渡りロシアにて皇帝位は継承され20世紀まで続く。
そしてもう1人は西ローマ帝国皇帝、これはシャルルマーニュののち、紆余曲折して神聖ローマ帝国皇帝として帝位を紡ぎ、時代がくだると主にハプスブルク家が皇帝を担う。


(これはマリーアントワネットの母親)


フランス革命で断頭台の露となったマリーアントワネットの父親は神聖ローマ帝国皇帝だが、拡大解釈な表現をすればマリーアントワネットは西ローマ帝国皇帝の娘なのだともいえる。


フランス革命の直前までローマ皇帝が生存していたというのは意外だと思う。
そしてそれは常に2人。
皇帝に憧れた実力者が勝手に名乗ることは憚られた。フランス国王の中には皇帝に憧れハプスブルク家からなんとか皇帝位を奪えないかを本気で画策した王もいたくらいだ。


ローマというものは東西があり、教会も東西があり、皇帝も東西にいる。
この考えが中世ヨーロッパ世界の大原則で、近世いたってかなり薄れたがまだ建前上の常識として歴史的事実として機能していた。


これをまったく無視し、勝手に自ら皇帝を名乗ったナポレオンという男がいかにエポックメイキングだったのかはいつ考えても興味深い。

2016年4月5日火曜日

起業家マインドが西ローマ帝国を復活させた

西暦476年に滅びた西ローマ帝国の復活という、破天荒なことを夢想し、結果として実現させたのは教皇レオ3世という、何よりも自分の保身が大切という男である。

このレオ3世の欲望が350年近く埋葬されていた「西ローマ皇帝」を現世に召還しイタリア含めイタリア以北の、当時は蛮地とされた西ヨーロッパに光をあてることとなる。

自堕落な生活のために教皇位を追われそうになったこの男が望んだこと、それさイマイチ権威に欠けともすれば分裂の危機にある「ローマ教皇」という立場の強化であった。


少し話がややこしいが、東ローマ帝国にはローマ教皇とは“別に”「コンスタンティノープル総大主教」がいた。
この東ローマ帝国のキリスト教が後にギリシア正教・東方正教会となり主に東ヨーロッパ、ロシアに伝わり現在に至る。

要約して言うと、東ローマ帝国には東ローマ皇帝がおり、コンスタンティノープル大主教が。
西ローマ帝国には西ローマ皇帝がおりローマ教皇が存在した、ということ。

そして、西ローマ帝国が滅び1人残されたローマ教皇の権威というのは、きわめて心許ないものだった。

そうだから、ローマ教皇であるレオ3世はローマ教皇という立場の強化を望んだのである。



教皇が目をつけたのが当時飛ぶ鳥を落とす勢いのフランク王国の国王、シャルルマーニュである。
シャルルマーニュの王国は現在のドイツからフランス、スペインやイタリアにまたがる大王国で、実質として西ローマ帝国とほぼ同範囲。


この、今や東ローマ皇帝よりも領土の上では古代ローマ帝国を彷彿とさせるフランク人の王はローマ皇帝に相応しいのではないか?
よもや異論を言うものはおるまい。
そしてその皇帝の任命を自分が行えば自分の、ローマ教皇の権威は高まるのではないか?

だがいきなりそんなことをすれば、東ローマ皇帝およびコンスタンティノープル大主教は黙っていないだろう。。。

どうする?



レオ3世はここまで考えて結局実力行使に打ってでた。
東の了解を得ぬままに強引に教皇戴冠式を断行し、一方的に「西ローマ帝国の復活」を宣言したのである。
あとはどうにでもなれ、である。

結果としてこのことによりローマ教皇は皇帝選任権を有することになり中世を通し絶大な世俗権力を握っていくことになる。

自分の権威拡大のためとはいえ、
数百年前に滅んだ国を復活させ、時の権力者にその国の皇帝を任命させる、任命権は自分がもつ、をゼロから作ったレオ3世は今日風にいうとなかなかイノベーティブな人間なのかもしれない。




2016年4月1日金曜日

「ローマ」を求めてしまうのがヨーロッパの性

神聖ローマ帝国という、かつて地球上に存在した“国”について書こうと思います。


その前に、ヨーロッパを理解するために必要なことを少し。。

日本人のヨーロッパ史理解を困難にする、あるいは“誤解”させるものがいくつかありますがそのうちの筆頭はキリスト教でしょう。
“神”によって全てが決まる、懺悔、最期の審判に備える人々など、生活に根ざすこともさることながら、新大陸での一方的な布教、イスラムとの対立とそれが巻き起こした事象をみても、何だか日本人にとって「理解し難いもの」ではないでしょうか。

そのキリスト教と並び日本人が理解し難いもの、もしくは誤解しているもののが「ローマ帝国」だと思うのです。

ローマ帝国といえば中学校の歴史でも習いますし、映画・漫画などメディアでも繰り返し取り上げられる題材なのでお馴染みですよね。

ローマ人はお風呂が好きなんだ、みたいな(笑)

教科書的にはローマ帝国はゲルマン民族の大移動の後、476年に滅亡と習います。
その後、ヨーロッパは長い暗黒の中世に入る(蛇足ですが東洋と西洋の覇権800年交代法則というものもあります)

しかし、ローマは滅んでいないのです。
何度でも蘇ります。
ローマ再興を目指す皇帝の子孫たちが海賊と一緒に帝国の財宝を探したりはしませんが。

いやしかし、ここまで書いていてふと思いましたが、“ローマは滅んでなんかいないんだ、何度でも蘇るんだ”という信仰に近い想いはきっとヨーロッパ人のDNAに深く刻まれているような気がしてきました。

だって、神聖ローマ帝国の成り立ちは“ローマは何度でも蘇える”というぶっとび理論そのものだもの。

閑話休題。
話を端折るとこでした。

実は、476年に滅びたのは「西ローマ帝国」だけ。
「東ローマ帝国」はその後も存続、それどころか地中海に覇をとなえ再び巨大帝国を築くのです。



どういうことかというと、そもそもローマ帝国は広大すぎる領土の統治効率化のため395年に東西に分裂します。
時の皇帝が臨終に際し息子たちに分割統治するよう言い遺したのです。

西ローマは、ローマを。
東ローマは、コンスタンティノープルをそれぞれ首都にしました。

そして、コンスタンティノープルを首都に戴く東ローマはギリシャ半島に勢力を保ちながらその後も1453年にオスマントルコによって滅ぼされるまで国家として続きます。つまり、ローマ帝国は古代で滅びず1500年もの長期にわたり存在したのです。

まずもって、ローマは滅びず(古代ローマは滅んだとみることはできますが)日本の室町時代まで存在したってのがビックリですよね。


しかし、東ローマ帝国はあくまでギリシャ半島周辺を治めるにすぎない。
イタリア半島以北の蛮地、今ではフランスやドイツ、イギリスと呼ばれる西ヨーロッパ世界にはローマの威光は届かない。

ギリシャにはローマ皇帝がいる、この西ヨーロッパ世界にもローマ帝国が、皇帝が必要だ。

ある時、1人の人間が考えました。

そうだ、数百年前に滅んだ西ローマ帝国を復活させればいいのだ、と。


そうしてこの世に生を受けたのがその名も仰々しい【神聖ローマ帝国】なのです。


【リポート】第83回金沢歴活「ざっくりフランス史カペー朝について」

テロで揺れておりますがフランスって日本人からすると変わらず人気観光地の筆頭と思います。

(僕も例に漏れず訪仏、写真は夜のルーブル)

しかし案外知らないのがフランスの歴史。
だいたい、映画やメディアの影響もありジャンヌダルク(15世紀)あたりからは知ってて、絶対王政・ベルサイユ宮殿のルイ14世(17世紀)、ベルばらでも馴染みのあるフランス革命(18世紀)もまぁまぁ聞いたことある習った記憶がある、という方が大半なんですがぐっっと遡って「ジャンヌダルク以前」のフランスはどうだったのか⁇

ってことで当日はジャンヌダルク以前のフランスの歴史、「カペー朝」というそれはそれはマニアックなお話を朝からさせていただきましたました(笑)




2016年3月31日木曜日

【リポート】第85回金沢歴活「今だからこそ知りたいざっくりベルギーの歴史」


3月31日、年度末の最後の最後という日にも関わらず、朝から沢山の方にきていただきました金沢歴活。
今朝のテーマは「今だからこそ知りたいざっくりベルギーの歴史」と題しましてテロに揺れるベルギーについてお話してまいりました♪

ベルギーっていうとチョコにワッフル、ビールと食べ物のイメージ強い!のですがそれはそれは複雑な国家成り立ちの歴史を背負っているのです。。

まず、言語からいくとベルギー語ってない!オランダ語とフランス語が公用語!
そして正式名称はベルギー王国、ですので国王を戴く君主政!
そーいえば、フランダースの犬の舞台もベルギーですよね!?っと案外興味をそそる国なのです。

ちなみに。
ダッフルコートのダッフルとはベルギーの都市の名前です♪

なんてウンチクもふんだんにお話したベルギーの歴史ですが、予備知識がなければあんまり理解しにくい回になったなぁと反省。。

ベルギーはフランス、イギリス、ドイツにオーストリア、オランダとの関係性 が強いから周辺知識もフォローしないといけなくて。。。
もっと分かりやすくお話することが課題です(>_<)

2016年3月26日土曜日

リポート【ゼフィランサスの眠るころ】

お茶会に限らずだけど、なにかの名前を考えることが好きです。
命名する、ていう何もなかったものに生命を吹き込む行為は死語かもしれませんが非常にクリエイティブな気もして。


っで、今回のお茶会のテーマ「ゼフィランサスの眠るころ」である。
前回の「早春のリャナンシー」、前々回の「空しい夜と烈火の昼の切ない想い」とに続くナルシスト度がたっぷり入っていけ好かないけど気になって仕方ないタイトルに仕上がっております。

我ながら、まるでライトノベルのタイトルのようなこのタイトル、なかなかの出来栄えと自負しております。

席中では種明かししましたが、ゼフィランサスとはヒガンバナ科の白い花で花言葉は「清純」。
ちょうど、二日前に彼岸の明けを迎えたばかりで冬の別れと春の訪れを隠れテーマにしたかったんです。

遠州流では彼岸を境に微妙〜〜にお点前も変わりますし。

やはり季節感は何かしら取り入れたい欲求にかられます。
だから、お菓子も追銘「霜まよふ」にしたり。

お菓子の説明はまた長くなるので割愛しますが。。。


ですので、彼岸が明けたという意味でゼフィランサスの眠るころ、と命名したのですね。
ゼフィランサスは夏から秋にかけて咲くのでヒガンバナ科である、という以外は季節感もへったくれもありませんが。。。

ちなみに、本当の本当の元ネタは機動戦士ガンダムの同名の機体からです笑
『0083』、好きなんですよねぇ。